トピックス

TOPICS

[レポート] グリーン・マウンテン・カレッジ 令和5年度ダイジェスト

2024.03.31
グリーンマウンテンカレッジ

焚き火を囲み、ゲストと校長小山田徹さんのトーク、そして参加者との対話が育む学び合いの場、グリーン・マウンテン・カレッジ。

令和5年度は11月と12月に、ならまちセンター芝生広場で全3回を開校しました。

ティピーテントのもと、小さな焚火にあつまった参加者が、ライフスタイルや働き方をどのように考えるかをテーマに語るゲストトークに耳を傾けたダイジェスト・レポートです。

 


 

第1回 ゲスト:山森 亮/同社大学 経済学部 教授、フライブルク大学ベーシックインカム研究所研究員

2023年11月11日(土)、今年もならまちセンター芝生広場にティピーテントが立ち上がり、焚き火のもとに集う人々の対話がはぐくむ学び合いの場が開かれました。

 

参加者が囲む小さな焚き火セットから、炎がゆらゆらと立ち上がります。その向こうにはマイクを持ってディレクターチェアーに座るお2人がスタンバイ。

第1回のゲストは同志社大学経済学部教授でベーシックインカムの研究者、山森亮さん。グリーン・マウンテン・カレッジ発案者で校長の小山田さんも徹さん。お2人のトオルさんによるトークがはじまりました。

 

個別のテーマを設けず始まった今年のグリーン・マウンテン・カレッジ。小山田校長はまず、山森さんご自身が発症されたシックハウス症候群と化学物質過敏症について訊ねます。

山森さんは2008年、改装したばかりの部屋で仕事をするうちに、原因不明の様々な症状に悩まされます。その後も空気の悪いところに居ると同じような症状となったことから専門医を訪ねられ、シックハウス症候群、化学物質過敏症との診断を受けました。

 

揮発性有機化合物が原因物質の一つとされるシックハウス症候群は、1970年代にアメリカで社会問題化し、日本では1990年代から2000年代にかけて規制が出来ました。ここ10年くらいは、洗剤や柔軟剤に含まれる合成香料なども原因物質にあげられており、対応が難しい現状があります。

 

シックハウス症候群や化学物質過敏症を発症すると「人生変わってしまう」と山森さんは言います。小山田校長も身近な方のシックハウス症候群の話をしながら、問題を抱えている人が声を上げやすい配慮と、そして周りは知識を得ることが大事と答えます。

 

山森さんは「発症したことで考えた」として、路上生活者の支援をするお手伝いをしていた大学生の頃を振り返り、目の前にいるのに社会から視野に入れてもらえない、そういう感覚を持って生きざるを得ない人たちのことを自分はちゃんと解っていなかったと語ります。そして、

「移動するのも難しかったり、様々なことが困難に複雑になった。こんな体になって良かったとは思わないが、でも悪いことばかりではないと思いたい」

と続けました。

小山田校長は、病気の向こうにはライフスタイルの変化や構造的な問題も見えてくるとして、話は山森さんのご専門のベーシックインカムへ。

 

イギリスで研究者生活を送っていた1990年代前半、山森さんは1960年代から70年代世界各地で起きたウィメンズ・リベレーションの流れの中、イギリスでは女性解放にはベーシックインカムを採用すべきだという動議が可決されたことを知ります。

フェミニズムの歴史にも出てこないこの話に、大事なことが忘れられているのではないかとさらに研究を進めた山森さんは、裏付けとなる活動のビラを大英図書館で見つけます。

女性解放運動家たちの言い分は、生活をするためにせざるを得ない、社会に害を与える仕事には就きたくない。武器を作ったり、環境を汚染したり、人を監視する仕事などから自由になるためにはベーシックインカムが必要である、ということ。山森さんは「腑に落ちた」と言います。

ここで、山森さんの著書を読んだ小山田校長から皆さんに質問が。

 

「ベーシックインカムがあれば、あなたは何をしますか?」

 

ベーシックインカムを語る時、出てくる話は怠け者が出るとの話。でも、自分ごととして考えれば、したくない仕事はしなくていいし、したい仕事が出来るのでは?と小山田校長。

「私は今の仕事やめます(笑)」

山森さんの即答に会場からも笑いが起きます。そして続けて、

「明日やる気を無くしても、大学の研究に熱意をもてなくなっても、今はしがみつくしかない。ベーシックインカムはあった方がよいのではないかな」

ベーシックインカムの導入に関しては、2016年にスイスで国民投票がありましたが、賛成は25%で結果は否決。でもこの投票の意義は可決することより考えるきっかけを作るためにあると山森さんは話します。

では例えば日本でベーシックインカムを導入するとすれば、幾らぐらいが適当なのでしょうか?

山森さんは、いつも薄っぺらいお金の話ばかりしている人みたいで不本意、と笑いながら、

「紙切れに縛られたくないとの思いがあって。山に行くと、鹿や猿がお金を持たなくても生きている。でも人の生活は、お金がなくても生きていける状態になっていない。少なくとも、住むことや病院、教育などにはお金のかからない社会の仕組みを作ることは可能だと思う。そういう社会なら1人10万円くらいをベーシックインカムで補うことで、少し人間的な生活が出来るのではないか」

 

シックハウス症候群やベーシックインカムは社会的に認知されにくいものとして通底するものがあると話す小山田校長、トークの終わりに自らの活動について、

「共有空間で共有性を獲得しながら生きていく方法を探していて、金銭に変えなければならないところをどう創造性のあるものに変えていくかとの課題があって。今後も活動を共にしたいです」

と山森さんへ語りかけ、それに山森さんが笑顔で応じて第1回は終了となりました。

終了後に参加者の輪に入った山森さん、皆さんから向けられる様々な質問に丁寧に答えておられました。

すぐ隣りにあるかもしれない“生きづらさ”に気づき、知識を得て、自分事として考えてみる…

そして、

ベーシックインカムがあればあなたは一体何をしますか?

 


 

第2回 ゲスト:風間 勇助/奈良県立大学 地域創造学部 講師

2023年12月2日(土)、師走に入り寒さが増し、日の入り時間はぐっと早くなりました。いつもカレッジを見守ってくれている興福寺の五重塔は、120年ぶりの保存修理工事のためライトアップもしばらくお休み、シルエットとなって闇の中にたたずみます。

 

特定のテーマを決めずに進んでいる今年のグリーン・マウンテン・カレッジ。

第2回のはじめに、小山田校長からトークのベースが語られます。

「第1回ゲストの山森亮さんと話したシックハウス症候群とベーシックインカムの話題に通底するのは生きづらさ。今回も生きづらさを入口として話せたら」

 

ゲストは奈良県立大学 地域創造学部講師の風間勇助さん。まずは風間さんの自己紹介から。

「専門はアートマネージメントや文化政策です。東京藝術大学 音楽環境創造科で芸術と社会を繋ぐアートプロジェクトを実践していました。美術館やギャラリーにある芸術ではなく、農業と芸術の掛け合わせプロジェクトの立ち上げをやったりしました」

 

その延長線上で、色んな場所で芸術が果たす役割があるのではないかと考えた風間さん、現在の研究テーマは“刑務所アート”。少年院や矯正施設で取り組まれているアート活動の研究実践です。

小山田校長は、法務省管轄の刑務所や少年刑務所で制作された絵画作品の審査を6年ほど続けており、その活動を通じてお2人は知り合いました。

 

風間さんは刑務所アートを研究テーマに据えた理由について、きっかけは藝大の授業で見た映像作品だったと言います。少年院の入院者が、コンテンポラリーダンスを学び、人前で披露して拍手をもらったことで初めて人から肯定される経験をし、やり遂げたことに自信を得て更生していくとの内容でした。

その後、会社員となって、

「永山則夫さんの直筆ノートの展示を見て、壁の向こうにも表現があると知って。自分が出所者や受刑者とつながるにはどうすればいいかと考えていた時、再犯の要因になる孤立・孤独を防ぐ取り組みとして文通ボランティアをしているNPO法人を知りました」

受刑者の再犯を防ぐには出所後仕事をさせよとなるのだが、このNPOが行っていることは社会とのつながりを保つという切り口であり、それは当事者の視点であると。当事者は刑務所という異質な世界に居て身体感覚が変化してしまっていて、社会に出ても居場所がない。コミュニケーションを取り戻すところから始める活動をしている、と風間さん。

 

そして2023年2月、風間さんは受刑者から文芸作品を公募して「第1回刑務所アート展」を開催。いろんな問題に直面しながらも、2024年3月には第2回展を開催する準備を進めています。

 

風間さんは自身の活動について、

「相手を罰することばかりでなく、修復、回復を考えることは普遍的なテーマ。被害は想像しやすくても加害は想像しにくく意図しないことも多い。そういうところの想像力をはぐくむ活動と思っています」

さらに続けて、

「厳しい競争社会の中で、セイフティーネットの網の目をくぐって最後にたどり着くのが刑務所になっていて。テレビで報道されるのは凶悪な事件ばかりだが、刑務所にいる人はケースバイケース。刑務所はどんな人も受け入れるので本来福祉につなぐべき人が刑務所に入ってくる。そこでは、人生においてこの社会がどうあるのかが見えてきます」

 

風間さんは大学で講義をすると、必ず学生から「犯罪する人がアートをしていいのか?」との質問が出ると言います。それは、向き合うという意味で良い質問であり、そこにはアートは贅沢品という考え方があると語ります。

 

活動をアートプロジェクトとして行うことについて風間さんは、

「作品より過程、やりとりに魅力を感じている。これは藝大で学んだことの応用です。アートプロジェクトが役割を期待されるということは大きいと思います」

と言います。

 

ただ、アートプロジェクト活動の大先輩である小山田校長は、アートプロジェクトとは便利な言葉であり、社会的な消費に飲み込まれて行く可能性はあるとの見方を示しつつ、それでも、

「生きづらさの行きつくところが現在の経済社会であるとすれば、それにどう抗うのか、戦うのか、提案できるのかを考えた時に、アートプロジェクトはまだ有効な手段」

と続けました。

話は最後に、お2人が関わり今年度よりスタートする古都祝奈良のプログラム「ならまちワンダリング」へ。プログラムディレクターである小山田校長より、

「ならまちワンダリングは、奈良の町で活動している人と外部の人間が一緒に活動していく企画。喜ばしい労働とか、抵抗感とか、喜ばしい敗北とか、うまくいかなかったこともネガティブにとらえず、喜ばしい敗北としてとらえるためにどうしたらいいのかを考えています」

実際の活動としては、

「一本の木をツルツルに磨くだけ、石を握るだけとか(笑)。遊びを作っていく感じ。一緒に悩んでくれる方を募集しています」

そして風間さんからは、

「クリエイティビティを刺激して、皆さんがこういう遊び楽しそうって提案してくれるフレームを作っていく活動です」

 

「ワンダリング」という言葉には「さまよう」「迷う」などの意味があり、それらは人の思考や学びを深めるために基本的に重要なこと。効率とかスキルとか、最短距離で間違わずに進む道ではなく、さまよいつつ、迷いつつ、ゆっくり進む探求が始まります。

刑務所の内と外、加害と被害、更生と回復、それを創造で繋ぎ想像を促すアートとアートプロジェクト…

生きづらさを入口とした第2回のトークは、知っているようで知らない課題に想像を巡らす時間となりました。

 


 

第3回 ゲスト:杉山 拓次/春日山原始林を未来へつなぐ会 事務局長

2023年12月16日(土)、外はシトシト冬の雨。

第3回は6年目にして初めての屋内開催が決定。残念ながら焚き火はなしで、ゲストの杉山拓次さんと小山田校長のトークのみを行うこととなりました。

 

開催場所は「ならまちセンター1階ギャラリーinishie」です。公式WEBやSNSで案内を見てくださった皆さんが1人、また1人と来場。18時となり、第3回がスタートしました。

 

小山田校長が、第1回、第2回のトークを簡単に振り返ったあと、

「環境とか状況において、息苦しさ、抑圧を感じている人との関わり、生き方を考えるというのが今年のベーシックなテーマです」

個別テーマを設けず進んできた今年度のグリーン・マウンテン・カレッジでしたが、最終回の今回、全3回を貫くトークテーマが明かされました。

 

今回のゲストは杉山拓次さん。まずは自己紹介です。

「『春日山原始林を未来につなぐ会』という、春日山の保全活動をする市民団体の事務局をしています。他に環境NPOのお手伝いや、奈良女子大学の研究員、他は街づくりの仕事など…」

「生業が複数ある生き方を実践されている」小山田校長より補足が入ります。

 

生まれは東京の多摩ニュータウン。元々俳優を志していた杉山さんは、その道を諦め就職先を探していた時に、芝居のチラシ作りの経験からデザインの仕事を紹介されます。そこは環境教育や自然体験の活動をしている環境NGOでした。

そしてお子さんが小学校に上がるころ、東京がしんどいと言っていた奥さんの実家がある奈良へと一家で引っ越して来られました。

「何も考えないで奈良に来ました。環境の仕事も10年やりましたが、これは主体的に選んだ仕事じゃなかった。それでまず知り合いを作ろうと、奈良市がやっていた起業家育成プログラムに参加しました」

プログラムではビジネスプランを作る必要がありました。杉山さんの視点はやはり、環境に向かいます。奈良にエコツーリズムの観点がないことと身近な自然・春日山があることに着目して、環境NGOにヒアリングに行った時に、今度団体が立ち上がるという話を聞いて、

「お金は出ないとも聞きましたが、とりあえず関わりますと(笑)」

 

ここで、春日山原始林について杉山さんの説明です。

「春日大社の神山、御笠(みかさ)山の後ろにあるのが春日山。昔は春日山、御笠山も一体となって春日山と呼ばれていました。明治の初めに国有地となり、大正時代に天然記念物指定され奈良公園の一部として管理されています。天然記念物になった時に春日山原始林と呼ばれるようになりました」

 

841年に神域になってから1000年以上、人の手があまり入らず原始の姿を残す森林が都市のすぐ側にあることは大変珍しく、1955年には国の特別天然記念物に、1998年にはユネスコの世界文化遺産「古都奈良の文化財」の一つとして登録されました。

 

でも今、森林の現状は深刻です。一定以上大きくなった木が死んだあと、次の世代の木が育っていないのだそうです。原因は様々ありますが、大きくは昭和の初めに出来たドライブウェーの影響と、そして、鹿。

 

国の天然記念物として保護されている奈良の鹿は、天敵のオオカミや野犬がいなくなった現在、その数はおそらく過去最大。約1200頭が奈良公園から春日山の奥深くまでを生息域として暮らしています。その鹿たちが原始林の中で木々の新芽や若木、下草などを食べてしまうことで、原始林の生態系が変わってきていると杉山さんは言います。

鹿から木々を守るための方策の主流は柵をつけること。奈良県の保全活動のお手伝いとして、市民ボランティアと一緒に、日当たりの良いところにポイントを絞り、植生の回復を試みています。

 

他に杉山さんたちの活動としては、啓発活動として小学校での講演やガイドツアー、そして春日山で倒れた木を引き取り、工芸作家やアーティストに提供して制作された作品を展示するアートプロジェクトも行っています。

 

原始林の魅力について、あらためて小山田校長からの質問に、杉山さんが答えます。

「森の中は、木々の背が高く里山と比べて圧迫感が少ないです。道も広いし、石仏があったりして文化的な人の営みがポツンポツンとある。人との関わりがあった上で、ここが守られてきたのがわかる面白さがありますね」

 

これからの展開として杉山さんは、会を組織としてしっかりしたものにしたいとの考えと、春日山の情報の出し方と発信できる拠点の整備を挙げました。

現在活動してくれているボランティアはシニア世代が主流。高齢化が課題ですが、最近は30~40代の女性の参加も増えてきたそう。杉山さんは、

「若い20代30代がこれを仕事に出来るようになることが大事だと思っています。街中に近いフィールドで、研究者目線で森を把握していくことが大事だと」

 

ここで、小山田校長から提案が。

イギリスなど海外で認められているギャップイヤー(gap year)、高校卒業後や大学在学中に一定期間社会活動をしたり、旅に出るなど学校生活では得られない経験をすることですが、それを例えば、春日山原始林で行ってはどうかと…

「森のスクールとして、若者たちが1年間ガッツリ参加するプログラムとか。理解を深めながら、労働、身体性、植物との関係とか色んなものを学ぶきっかけになる。こんなに都市に近いところにある原始林ってないからね」

「その発想はなかったです。そうか!と思いました」

笑顔で応じる杉山さん。そして、

「ちなみに大きな木が倒れてぽかっと穴が開いたところをギャップと言うんです」

小山田校長の顔がパッと輝きます。

「ギャップがあると光が差し込む」

「ギャップがあると森が育つ。ギャップが人を育てる!」

杉山さんがすかさず応じて、参加者からも、おーっという声が。

「ギャップイヤーいいね。でも巨大企業の名前やな(笑)」

と、小山田校長。会場も笑いに包まれました。

 

最後に小山田校長から、3月からスタートする「ならまちワンダリング」の話となり、杉山さんにラブコールです。

「既に奈良で活動している表現者と外部の表現者と共同で何かを始める後押しできないかと。私は提案者で参加者。パートナーを探している。春日山原始林での活動を一緒に出来ないか。3月のワンダリングでは木をただ磨くだけの「とぎとぎ」という屋台をやる。それだけだが大人も子供も結構楽しめる。そこから原始林のボランティアや作業を繋ぐ装置を一緒に作っていければ」

 

そして、

「ワンダリングの構想のベースは学校を作るということ。原始林では体育をやるとかね。春日山の活動に興味のある方はアプローチが出来るように、作戦を考えていきましょう」

意気投合した小山田校長と杉山さん。トークは終了も参加者を交えてお話が続いていました。

 

様々な生きづらさに、まずは気づいて知識を得ること。

そしてほんの少しでも、そこにギャップ(隙間、裂け目)が出来て光が差し込むことがあれば、そこから何かが動き出すのかもしれません…!

そんな気づきに希望を感じて、今年度全3回のグリーン・マウンテン・カレッジは閉校となりました。