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[レポート]『古都祝奈良シンポジウム』第2部 Panel Discussion
令和7年3月1日(土)に、奈良市ならまちセンター市民ホールにて開催の『古都祝奈良シンポジウム まちと未来をみんなで考える―メディアアートの可能性』第2部、メディアアート領域の作家や専門家によるパネルディスカッションのダイジェストをお届けします。
|登壇|
森山朋絵氏(モデレーター/メディア芸術キュレーター、東京都現代美術館学芸員)
安藤英由樹氏(大阪芸術大学芸術学部アートサイエンス学科教授)
大谷智子氏(大阪芸術大学芸術学部アートサイエンス学科准教授)
仲川げん氏(奈良市長、奈良市アートプロジェクト実行委員会委員長)
■「東アジア文化都市2016奈良市」から10年継続しているアートプロジェクト
仲川げん氏
まずは2004年に東大寺の鏡池で開催した二月堂の修二会をテーマにした「実忠の三つの不思議な花」からご覧いただきましょう。これが私が最初にアートプロジェクトに関わるきっかけでした。そして「東アジア文化都市奈良市2016」で、同じ池に中国の蔡国強 (さい・こっきょう/Cai Guo-Qiang)さんのジャンク船を浮かべました。
日本、中国、韓国の3か国で開催した「東アジア文化都市」では、距離が近すぎる難しさを、文化の面からどのように乗り越えるのか、ということも大きなテーマでした。奈良は大陸とのつながりの中で様々な文化、文明をしなやかに受け止めて発展をしてきた街で、それぞれの時代の先駆性、包摂性、多様性が大きな価値となっていると思います。
その後も事業を一過性で終わらせることなく、毎年、色々な現代アーティストの方に、奈良の町の色々なところを取り上げていただき、時には市民の方と一緒にアウトリーチしながら、アートを通して町にもう一度光を当て直すような取り組みを進めて参りました。
最後に、はじめに紹介した2004年の東大寺のアートプロジェクトの時に書いたメモを、今も市長室にずっと飾っておりますので、それを紹介させていただきます。
「奈良の再生は、歴史と現代を結ぶことから始まる。豊富な世界遺産を現代に生きる私たちの生活に絡ませるいくつかのプログラムを構成し、奈良の人々が現代社会で生きていく上での自信と未来への展望を持つこと、その中で世界遺産、特に仏像や建築をうまく活かす」
まさにそういったテーマの中で、時には現代アート、時には舞台芸術、時には観光と、多様な切り口を組み合わせることによって、奈良の人たちが今と未来を切り開いていく力を、この地面の中に重層的に積み重なった知の蓄積の中から掘り起こしていく、そんなことをこれからも仕掛けていきたいなと思っています。
■「メディアアート」と「メディア芸術」とは
森山朋絵氏
「メディアアート(media art)」は、私たちが持っている五感を拡張するものだと考えていただくと、わかりやすいと思います。科学技術と芸術は別々と考える人が多いと思いますが、元は「アルス(ars)」といラテン語が表すように一つのものでした。電気を使うとか、最先端の技術を駆使しているとか言われますが、そうとは限らないのです。新しいということにはあまり意味がなく、「思いもかけない使い方をする」ものであり、全然デジタルではなく、電気を使わない作品もあります。
「メディアアート」とは、重層的で複合的なアートの一領域であり、不易流行や温故知新を旨として、双方向性や参加体験性が特徴となります。それに対して「メディア芸術(media arts)」は、アニメーション、漫画、ゲーム、映画等を含めた総合的な芸術のことで、2001年に国の「文化芸術振興基本法」の中でカテゴライズされ、振興していくこととなりました。
次に世界と日本の3つの拠点についてお話します。
ヨーロッパには、落合さんもそこで活躍されているオーストリアのリンツ市にあるアルスエレクトロニカ(Ars Electronica)があります。複合的な文化施設があり、フェスティバルが毎年行われています。
日本には1997年から25年間続いた文化庁メディア芸術祭がありました。現在も人材を育成するプログラムは続いていて、メディア芸術、メディアアート領域の創作・発表を支援しています。
一方で、先ほどの落合さんのお話にも出てきましたが、アメリカとアジアには、全米電算機学会(ACM/Association for Computing Machinery)のシーグラフ(SIGGRAPH/Special Interest Group on Computer GRAPHics)という、CGとインタラクティブテクノロジーに関する世界最大規模の学会があります。2012年には、20周年を迎えたこの全米電算機学会のマルチメディア国際会議が、奈良の東大寺総合文化センターで開催され、私はアート部門の議長を務めたのですが、その時の奈良とのつながりを経て、10年後にまたこういう形でご縁ができるとは、人生はエンタングル(entanglement/量子力学でいう「もつれ」、絡み合い)だなと思っております。
■「錯視地図」で街並みを捉えなおす
大谷智子氏
私の研究は「色ってどうやって見えるの?」とか、「人って注意を向けるとどうなるのかしら?」など、知覚・認知心理学をベースに、情報工学や、メディア、美学、デザイン、教育、芸術など、さまざまな分野の方とプロジェクトを組んで進めています。
今回ご紹介する「錯視ブロック」は、どう組み合わせても錯覚が見えるように設計されたもので、デザイナーや建築美学、知覚心理学などの専門家と一緒に開発しました。これを使って町をつくってみると、単に形を再現するのではなく、錯視による“揺らぎ”も含めながら、「私たちの町ってこんな雰囲気だよね」といった抽象的な表現ができるんです。こちらの作品(写真)は、東京都現代美術館「おさなごころを、きみに」展に出展したものです。後ろに鏡を設置して、映りこみがつながって見えたり、模様が連続して見えたりと、錯覚が成立する仕掛けになっています。
この「錯視ブロック」を使って、街の雰囲気を表現する「錯視地図」のワークショップを、これまでいろんな場所で実施してきました。たとえば、小学校の皆さんと一緒に作った船橋市の町並みでは、「この辺りはこんな雰囲気」、「あの駄菓子屋はこんな感じだったよね」、と話し合いながら、ブロックをくみ上げていきました。
また、東京・大手町のようなオフィス街を作ってみると、雰囲気はまったく違ったものになります。東京都現代美術館で行ったプログラムでは、松尾芭蕉が奥州へ旅立った清澄白河の町を表現したのですが、新しく建てられたビル群と、昔ながらの住宅や商店街が混在していて、場所ごとに全然違う雰囲気になりました。
時代とともに建物や道路が変化していく中で、日々の暮らしの営み――ちょっとずつ変わっていくけれど、根本的には変わらないもの――が積み重なっていると思います。それは無意識のうちに存在しているのですが、「錯視地図」のように、住んでいる人たちが話し合いながら作ることで、リアルな再現ではなく、錯視特有の「なんとなくグラッとする感じ」や「ギザッとした感覚」など、町の“雰囲気”を鮮やかに表現することができます。
このように、地域に住む人々と、さまざまな専門家が協働しながら、その場所のインパクトを抽出していく取り組みを続けてきました。奈良では、おそらく町並みの変化の歴史が他の地域よりもずっと長く、変わるものと変わらないものが複雑に混在しています。そういった奈良だからこそ、「これからこんなふうになったら面白いよね」といった未来への想像も含めて、表現できるのではないかと思っています。
先ほど森山さんがおっしゃっていた「不易流行」という言葉、まさにそれだな、と感じました。
■「アートとは自分たちの未来を考えるための装置」
安藤英由樹氏
私はもともと工学を専門とし、長年にわたりインターフェースの研究に取り組んできました。現在は、情報学的なウェルビーイング(Well-being/個人や社会の良好な状態)をいかに構築するかというテーマにも取り組んでおり、自らが開発してきた研究成果を人々にどう伝えるかという問いから、芸術の分野へと関心を広げました。
2005年、今から20年前にアーティストの八谷和彦さんから「ファーストガンダムの現代美術の展覧会をやるけど、一緒にやらない?」と声をかけていただきました。その展覧会のタイトルは「来るべき未来のために」。八谷さんは、ガンダムの物語に登場する「ニュータイプ」という超感覚的な存在を本気で実現したいと語ってくれました。芸術とは、単に美しいものを提示するのではなく、現在の技術が少し先の未来に何をもたらすかという想像力を刺激する分野なのだと強く印象づけられ、なるほど、それこそが芸術の役割であると理解することができました。
私が研究してきたバーチャルリアリティという分野も、単にゴーグルをかけることが本質ではありません。本来そこには存在しないものが、あたかも存在しているかのように感じられる――その人間の知覚の仕組みを探究する学問です。そしてその研究を通して、「言葉で言い切れないこと」をどのように他者に伝えるかに興味が移り、現在は芸術という文脈の中で教育にも携わっています。
アートの役割は、問題を発見したり問いを提示したり、ときに解決の糸口を見出したりすることだと言われますが、私はそれを「考えるための装置」として捉えています。
また、“先端的な科学”の「先端的」とは、必ずしも「新しい」という意味ではなく、少数の人しか手をつけておらず、鋭く尖った試みであると考えています。そうした技術が社会に広まる前に、「この技術、本当にこのままでいいのだろうか?」と皆で考える機会をつくることが、いま非常に重要だと感じています。私たちはその実践を、「社会変革アート」という手法で行っています。
メディアアートには、まず「面白そう」という直観的な入り口から関心を持ってもらえる牽引力としての機能があるとおもいます。しかし同時に、アートを通じて、先端技術やサイエンスに対して「それが普及してから考える」のではなく、「こうしたものがこれから社会に現れそうだけれど、どう思いますか?」と問いかける機会を先取りしてつくることができたらと思っています。作家だけではなく誰にでもそうした感性や想像力を育む手段として、アートをうまく活用できたらと考えています。
■ 森山氏、安藤氏、大谷氏による万博でのプロジェクトについて
森山朋絵氏
本日登壇しました3人が、今年の8月に、関西・大阪万博の会場で内閣府・文部科学省他主催の企画展を担当します。世界の捉え方はアートの重要な問いかけの1つですが、私たちを取り巻く宇宙とはどのようなものなのか、身近なところから考えてみる企画展です。テーマは、先ほど「人生はエンタングル(entanglement/もつれ、絡み合い)だ」と申していましたが、世界や宇宙のなりたちも同様だと考えて「エンタングル・モーメント[量子・海・宇宙]×芸術」というタイトルにしました。量子の世界と、海洋の世界と、宇宙の世界を科学に加えて芸術で見せるというものです。
今年、昭和100年ですが、同時に量子力学が誕生して100年であることからユネスコが「国際量子科学技術年」を宣言しました。それを記念して、見えない世界から、もっと包括的な、生命自体を実感するようなものまで私たちのいる世界を考え、取り組みます。
■ 古都祝奈良 次の10年間に向けて メディアアート/メディア芸術領域からのメッセージ
▶ 土佐信道氏(明和電機取締役社長)
明和電機のコンサートでは、機械の楽器たちをシンメトリーに配置しますが、それを見るたびに「天平文化っぽいなあ」と感じます。仏教という海外のエッジカルチャーを日本人がまろやかに包んで生まれた奈良の文化には、テクノロジーと日本人にも通じる物語があると思います。
▶ 廣田ふみ氏(シビック・クリエイティブ・ベース東京[CCBT]プログラム・ディレクター)※当時
①最古の港町・マルセイユでは、2年に一度、歴史的な建造物や庭園のなかで「メディアアート」を紹介する「デジタル・イマジネーション・ビエンナーレ「クロニーク」」が開催されています。同時多発的に繰り広げられるプロジェクション・マッピングには、家族連れやアートファンが多く訪れ、アーティストと地域、来場者が協働し、街と文化資源の価値の創出と、歴史や文化を育み継承する大切な機会となっています。
②アートとテクノロジー、サイエンスが融合する「メディアアート」には、たくさんの人を魅了する表現にくわえ、まちと未来をつなぐ様々なアイデアや手法が詰まっています。みんなでものづくりをする「共創」、多様な人々を巻き込む「インクルーシブ(包摂性)」、アートとテクノロジーによる「ノベーション」——。奈良は私が暮らしてきた故郷のひとつでもあります。ほかの都市では実現できない、歴史的な建造物とデジタル表現とのコラボレーションなどに多いに期待しています。
▶ 小川絵美子氏(Head of Prix Ars Electronica)
Prix Ars Electronica(プリ・アルスエレクトロニカ)というアルスエレクトロニカが主催するコンペティションの統括を担当している小川絵美子です。 アルスエレクトロニカはオーストリア、リンツ市の子会社にあたる国際的文化機関で、1979年から、アート・テクノロジー・社会を考える未来志向のフェスティバルが始まり、そのあと15年以上かけて、コンペティション、リサーチ機関、アルスエレクトロニカ・センターと、未来志向と創造性の生態系を築いてきました。 特にアルスエレクトロニカ・センターは、地元リンツ市民の教育の大切な部分を担っています。
リンツは人口20万人の小都市で、50年前は文化のない灰色の産業都市と思われていました。しかしアルスエレクトロニカがきっかけとなって、市民のアイデンティティがアート・テクノロジー・社会における未来志向へと、ポジティブに、スムーズに変換されてきたといえます。 世界中でテクノロジーの普及が進み、気候変動など緊急に対応すべき課題に直面している現在は、50年前と違い、地域に根差したテクノロジーや、古くからの知恵と科学の融合、自然と調和する考え方のヒントなど、アート・テクノロジー・社会の新しい側面が必要になってきています。雄大な歴史を背景にもつ奈良市で、アートによって表現されるこれからの新しい人間観・世界観・テクノロジー観が議論されるのは、非常に説得力があると思います。アジアの視点を大切にした、地元に根差した、かつ世界への発信を期待します。
■ メッセージを受けて―――
仲川げん氏
今日は多くの皆さんに、奈良という場の持つ力や可能性について色々触れていただきました。テクノロジーとアートという話と、メディアアートの可能性ということが今日のポイントかなと思います。テクノロジーは、人々の暮らしをより良くしたり、いろんな課題を解決する実利の部分であり、一方アートは常識を超えるとか、希望を感じさせるとか、エモーショナルに訴える部分だと思うので、どちらが欠けてもバランスが悪いのかなと思います。
ここれは私の勝手な妄想ですが、東大寺の大仏様は、聖武天皇が「大仏造立の詔(みことのり)」を発してからわずか9年で造立されたと言われていますよね。もしかしたら大仏様は宗教の象徴の側面に加えて、皆の心を1つにまとめるアート作品でもあるのではないかと思うんです。この奈良では、奈良時代から1300年間アートプロジェクトが続いてるんじゃないかなと。そういう意味では、現在進行形の奈良の価値に気付き、広げていけるといいなと思います。
メディアアートに関しては、森山先生のお話にありましたように色々チャレンジが出来ると感じましたし、人口20万人のリンツ市での世界が注目するような取り組みもありますので、奈良でも出来るのではないかなと非常に勇気をいただきました。
森山朋絵氏
20年くらい前、「オープン・スパイラル・モデル」といって、自分の研究成果を論文や学会発表ではなく、アートの形で発表することもアカデミックポイントにできるという素晴らしい変革があったのですが、アートのディスカッションについても、アートとしてやらなくても、部活のように、学校の帰りや時間ができた時にふらっと立ち寄って、そこにコミュニティが出来て、そこで考えを話し合う、共有する、そういう小さな拠点があるといいですね。そこには、自分とまた違う考え方を持っている人が必ずいて、突然変異遺伝子みたいな感じの考え方や、触媒みたいな考え方をする人もいて、そういう中から次の発想が生まれてくる。自分の問題として、皆さんの物の見方をちょっと変えていただくだけでも、それは立派なメディアアート/メディア芸術であり、名前は変わっていくかもしれないけれど、表現の領域になると思います。
■ 最後に―――
安藤英由樹氏
アートには、私たちが思っている以上に多面的な意味があり、決して他人事ではなく、実は自分自身の生活とも深く関わっているということに気づくきっかけとして、重要な役割を担っていると思います。そうした気づきが自然に広がっていくような形で、アートと人々の意識がつながっていけたらと願っています。
奈良という場所には、古くからのものが多く残されていますが、それがなぜ今ここにあるのかを深く考える機会は意外と少ないのではないでしょうか。そうしたものに改めて目を向け、考え、自分なりの納得にたどり着く――そうした個々のプロセスが積み重なることに意味があると感じています。
皆で共通の答えを出すというよりも、それぞれが自分なりの解釈を深めていく。その積み重ねが新たな気づきを生み、やがてプロジェクトへと発展していくならば、それはとても面白い展開になるのではないかと思います。
大谷智子氏
私はワークショップの話をしたのですが、自分にとって捉えるきっかけ、例えばちょっと参加してみるとか、一緒に作ってみるという気持ちが積み重なると、大きなプロジェクトに繋がっていくのかなと思っています。だからこそ、「ちょっとしたきっかけ」を見過ごさないようにしていける何か仕組みができたらいいな、と思いました。
以前奈良の方から、「奈良には、いろんな文化や人が渡って来て、それを受け入れてきた長い歴史がある」と伺ったことがあります。なるほど、じゃあ今度は“メディアアートもちょっと取り入れてみようか”という時期に来ているのかもしれないと思いました。多分、皆さんが持っているこうした素晴らしい特性が、また次のこのプロジェクトに生かされるのだろうなと実感しました。
仲川げん氏
今ももちろん平和が大きな目的ではあるんですが、10年間の奈良市アートプロジェクトを通して、現代アートと舞台芸術の2つを大きな柱としてきて、そして今回次の10年を見据えた中で、メディアアートという新しい切り口は、一つには落合さんのお話にもありましたようにテクノロジーを我々がどう利用する側に立ちそれを社会に実装していくのか、その時の人の心であったり役割はどうなっていくのか、一番皆さんが関心のあるところにもタッチできるメディアアートを1つ柱にすることで、奈良時代のようなちょっとアバンギャルドな感じの、ポップアップ型のクリエーションがどんどん生まれる町になっていけばいいなと思いました。
ただ、これは行政の力だけではなかなか前には進まないので、やっぱり今日会場にお越しいただいてる皆さんや、落合さんもパネリストの方々も一緒に、まさに万博のテーマでもある「共創」していければと思っておりますので、まず春からの大阪・関西万博にも、私も含めて皆さんぜひ足を運んでいただいて、次の10年間につなげていけたらなと思っております。
森山朋絵氏
ありがとうございます。そうですね、さっき明和電機さんの指摘の中でも「エッジカルチャーをまろやかに包んで生まれた奈良の文化」との言及がありました。
二項対立だけじゃなく、「その間があるでしょう、いい塩梅でやりましょう」っていう考え方は、非常に量子的思考だとも言えるし、未来的とも、普遍的とも言える。そういう思考の体系をこの土地はずっと醸成してこられたのだとしたら、非常にラジカルでアバンギャルド、かつアルカイックな文化がここから生まれていくことと思います。
すでに今日ご紹介したような沢山の応援団もいることですし、今日皆様と時間を共有することができましたことは、非常に得がたい経験だったと思います。
これからも、奈良市アートプロジェクトの次の10年を、楽しみに見守りつつ参加したいと思います。
本日は、ありがとうございました。